岩場を少し離れると、赤い橋がかかる雄島を望む高台に三好達治の「荒天薄暮」の詩碑があります。
今も、日本海を見続けているかのように。
5年間暮らした三国で終戦を迎えた達治、悲嘆の思いをこの海に投げかけたのでしょう。
天荒れて日暮れ
沖に扁舟を見ず
餘光散じ消え
かの姿貧しき燈臺に
淡紅の瞳かなしく點じたり
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まことにこれ戰ひやぶれし國のはて
波浪突堤を沒し
飛沫しきりに白く揚れども
四邊に人語を聞かず
ただ離々として艸枯れて砂にわななき
われひとりここに杖を揮ひ
友もなく悲歌し感傷をほしいままにす」
また、戦時中やむなく戦争協力の詩を作りながらも、学徒出陣の式典に招かれた折、
「なぜ、君たちのような若者が戦場に行かなければならないのか」と号泣した達治、
戦後、
「ついに自由は彼らのものだ
彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥床(ふしど)とする
ついに自由は彼らのものだ」
と詠った『鷗』は、戦争で散った若者に捧げる鎮魂歌でもあったのでしょうか?
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